地元No.1高校の同窓会。「都落ち」の私が憧れの的に?

この前、久しぶりに高校の同窓会があったんですよ。
わたしも50半ばになりましたけど、最近になって、「お前はいいよなぁ。地元で暮らせて。幸せそうだよなぁ」って言われるんですよ。

これは、とある人事部長が語ってくれたエピソードです。

弊社はUターン転職支援をしていますが、採用企業の社長や人事担当者もUターン経験者ということがよくあります。Uターン転職して成功した、失敗した、という話は耳にしますが、果たして社長や人事担当者は自身のキャリアを振り返って、どう思っているのでしょうか。成功だったのか、失敗だったのか。

今回は、とある人事部長との商談の場で語られた、とても印象的な話をお伝えしたいと思います。

人事部長は宮城県の進学校を卒業し、東京の有名大学に進学、一度は都内で就職しましたが、30代で地元に戻ってきたUターン経験者です。ひょんなことから、人事部長が私に語ってくれたエピソードは、人の幸せとは何かを考えさせられる、示唆に富んだものでした。

※個人情報保護のため、内容は一部加工しています。

人事部長のエピソード①
ーUターンして地元企業に転職、これって都落ち?

わたしもこっちに戻ってきたばかりの頃は、たぶん「都落ち」みたいな感じで見られていたと思うんですよね。
だって同級生はみんな総合商社だったり、都市銀行だったり、一部上場の有名企業ですからね。地元にいる人もいましたけど、公務員がほとんどですし、Uターンして地元企業に転職した私はみじめなもんでしたよ。
きっと「かわいそうな人」と見られていたんじゃないですかね。

これは、とある人事部長が商談の場で語ってくれたエピソードです。

反応に困りましたが、正直「確かにそうだよな」と心では呟いていました。

地方出身の人であればわかると思いますが、地元No.1の進学校を出た人は、大学進学とともに都会に出て、そのまま就職して、よっぽどのことがなければ地元に戻るということはありません。そして、有名企業に勤務しているということは特別なことでもなんでもなく、みんな世間一般でいう「良い生活」をしています。

そんな同級生の中で、一人地元にUターンして一般企業に勤めているとなると、周りからはどうしても「都落ち」に見られてしまうものです。

この話を聞きながら、私の頭の中では槇原敬之の歌が流れていました。人によっては、あの名曲の歌詞に自分を重ねて「同窓会の案内状、欠席に丸をつけて」しまうかもしれません。でも、残念ながら現実の世界では、その後に「元気かどうか心配です」という手紙は届かないのです。

人事部長のエピソード②
ー50代で逆転。羨ましがられる立場に

わたしが微妙な相槌を打つと、人事部長はさらに続けました。

でも50代になると逆転するんですよね。40代くらいで、出世競争のゴールが見えてきて、守りに入りだすやつも出てきて、50代だともう出向になったり、役職定年になったりしますからね。ずっと第一線でトップを目指しているやつはほんの一握りですよ。
そうなると『なんで俺、東京にいるんだろ』ってなるみたいです。それで、わたしのことが羨ましくなったみたいですよ。

これは確かに的を射ているなと思いました。30代くらいであれば、まだ同期の中でも差がなく、東京でバリバリ仕事に燃えている人が多いものです。一方で50代ともなれば、完全に勝負がつき、もはや自分の限界を悟る領域に入ります。これは当たり前の話で、課長、部長、役員と、上に行けば行くほど、ポストは少なくなるわけで、それに漏れた多くの人は出世競争からは脱落します。

ただ、これまで成功者の人生を歩んできた人にとって、この現実を受け入れるには時間がかかります。30代は「まだいける」、40代は「うぅ、厳しい」、50代は「もうダメだ」と徐々に移り変わっていき、それと反比例するように、地元にいる同級生のことが羨ましくなるようです。

30代の当時、人事部長はいろいろな事情があり、やむなくUターン転職をされました。当時は給与やキャリアをあきらめた部分があったことも想像に難くありません。

でも今では、地元で家族と暮らし、さらには仕事も第一線で活躍し、給与も十分に得ています。30代の勇気ある決断から20年、幸せな生活をされています。そんな人事部長の姿が、都会組の同級生の目に眩しく映ったのでしょう。

人事部長は本当に50代から逆転したのか

このエピソードをお読みになって、皆さんはどのようなことを感じられましたか?

人事部長との商談を終えて、冷静になったとき、ふと思ったことがあります。それは人事部長の自己評価は「同級生からどう見られているか」ということが基準であるということです。

人事部長個人としては、実は30代も50代も大きく変わっていません。もちろん昇進もして立場は変わっていったはずですが、地元で家族と暮らし、同じ会社で仕事をしているということは20年間共通しています。

では何が変わったかと言うと、「他人からの見られ方」です。

他人から「かわいそう」と思われると、人は「自分は不幸なのかもしれない」と感じます。一方で他人から「羨ましい」と思われると、人は「自分は幸せなのかもしれない」と感じます。

人は誰しも、他人と自分とを比較してしまいます。特に自分と生い立ちが似ている人、なかでも同級生はどうしても意識してしまうものです。幼少期から、学業成績、容姿、運動能力など、さまざまな場面で他人と比べられてきましたから、致し方ないのかもしれません。しかし、この他人との比較の呪縛から解放されれば、人は幸せになれるのではないでしょうか。

人事部長は50代になって同級生からの評価が変わり、現在のご自身の生活やキャリアを幸せだと感じているようでした。しかし、先述のとおり、人事部長個人は30代から何も変わっていません。もし30代の人事部長が他人からの見え方を気にせずに、自分自身と向き合っていれば、その当時から実は幸せだったのではないでしょうか。

30代で地元へUターンするという決断は、非常に難しいことです。でも、難しくしている一つの要因は、「他人との比較」をしているからだと思います。

「落ちこぼれているように見られたくない」「あいつが高い年収をもらっているのに、自分が低いのは許せない」「他人より立派な家に住みたい」といったことをどこかで思っていませんか。しかし、人のキャリアも人生も、他人からどう見えるかは関係ありません。あなた自身が幸せであれば、それで良いのです。

皆さんの周りで、他人からの評価や他人との比較を気にして、幸せそうな人はいますか?本当に幸せな人は、他人からどう思われようが、その人自身が幸せだと思っている人です。

Uターンして地元で暮らし、仕事をしている自分を想像してみてください。あなたはどのような表情をしているでしょうか。もし幸せそうな顔をしているのなら、ぜひUターンを本格的に検討されてみてはいかがでしょうか。

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