「楽しさ」は自分で作る。無名ベンチャー企業への挑戦|辻井 樹

外資系戦略コンサルティングファームから社員12名のベンチャー企業だったリージョンズへ転職を果たした辻井樹さん。幼少期から自由奔放に育ち、そのまま順風満帆な人生を歩むと思いきや、コンサルティングファームで初めての壁にぶち当たりました。そんな辻井さんがなぜリージョンズに入社したのか、経歴をたどりながら深堀りしていきます。

辻井樹(Tsujii Tatsuki)
札幌市生まれ。北海道大学大学院工学研究科を修了。建築と都市計画を専攻。2002年に鉄鋼メーカーである日本鋼管(現JFEグループ)へ入社し、不動産部門にて不動産開発事業を担当。不動産(分譲、賃貸などの建築)の商品企画、事業推進(PM)、品質管理などに従事。2010年に戦略コンサルティングファームのボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)へ入社。戦略コンサルタントとして幅広い業界、テーマのコンサルティングに従事。2013年、Uターンしリージョンズ株式会社へ入社。事業を立ち上げ、全世界のネットワーク作りに貢献。海外事業の一時休眠により、現在は国内紹介事業のコンサルタントとして従事。

順風満帆な幼少期~新卒時代

── どのような子ども時代を過ごされましたか?

コミュニケーションが苦手な子どもでした。幼稚園や学校など新しいコミュニティに入ることや、知らない人と話すことに強い不安を感じたり怖がったりしていて、いつも泣いているような子でした(笑)。

── 意外です!高校や大学はどのように決められたのですか?

進路について深く考えたことはありませんでした。受験した札幌北高校も、在籍していた北海道教育大学附属札幌中学校から一番受験者数が多かった学校で、私はその中の1人です。大学の建築学科は自分で決めましたが、小学2年生の頃に、その場の勢いで「建築家になる」と友達に宣言したことがきっかけでして、言っているうちに本当にそうならねば……と、以降10年間引っ込みがつかなくなってしまいました(笑)。また、当時仲が良かった友人の多くが北海道大学に進学すると決めていたので、私も北海道大学を選んだのだと思います。

── 新卒でJFEグループ(入社時は日本鋼管)に入社されたのはなぜでしょう?

はじめに内定をいただいたから、そこで頑張ろうと思ったというのが直接的な理由です。元々は、“かっこいい建築家”になりたかったのですが、いざ就職する時は、建築家として大成することの難しさや、設計という仕事の過酷さというものに飛び込む自信が持てませんでした。しかも、就職活動をしていた2001年は就職氷河期ど真ん中で、設計事務所での採用は厳しい状況と考えていました。それもあり、建築専門の会社ではなくメーカーに目を向け、その中でも不動産系の都市開発部門があった日本鋼管を選びました。

── 8年間勤められたあと、転職を考えたのはどうしてですか?

リーマンショックにより、私の配属されていた不動産事業部を大幅に縮小することになったのがきっかけです。もともと新しいことにチャレンジしたいと思っていたのですが、ちょうど退職か、グループ内異動か、という選択肢を提示され、迷わず退職しました。

── 異動は考えなかったのですね。

グループ内のどの会社に行くかも、何を任せられるかも分からなかったので、それなら自分で探して選ぼうと考えました。といっても最初からコンサルファームを受けようと思っていたわけではありません。

── では、どういう経緯で?

たまたま友人から、コンサル業界に強い転職エージェントを紹介してもらったことがきっかけです。キャリアコンサルタントの方との面談の場で「どんな仕事をしたいか?」を問われたとき、「職種や業界ではなく、私の経歴で合格の可能性がある中で、一番難しい仕事にチャレンジできる会社から順番に受けたい」と答えたんです。それで最初に案内されたのが前職のBCGであり、幸い内定をいただいたのでそのまま入社を決めました。だから、何をしている会社かは、選考の途中に調べていました(笑)。

── 新卒同様、最初に内定が出た、というのがきっかけだったんですね!なぜ「難しい仕事」を希望されたのでしょうか?

今思えば、成長感を求めていたんだと思います。転職前はありがたいことに評価はされていて、入社1、2年目のまだ自分が組織の新人だったころから、「ちゃんと信頼してもらえているな」と感じていました。しかし一方で、「自分は誰にでもできる仕事をしているのではないか」という感覚もありました。このまま10年続けても、今の自分と同じ仕事しかできないのではないか。難易度が高い仕事なら、きっと面白くて、成長できるはずだと考えたんです。

なんでもできると思っていた自分が、初めて壁にぶつかった

── お話を伺っていると、幼少期からいわゆる「なんでもできる」タイプだったのかなと感じました。

今考えるとお恥ずかしい話ですが、当時はできないことはあまりない、壁にぶつかったことがない、という感覚でした。今思えば、子供のころからできないことはそもそもやらない性格だったのかなと思います。だから、私の世界の中ではできないと感じることはなかったんです。でも当たり前ですが、振り返ると、実際にはできていないことだらけですよ(笑)。

── 言葉を選ばずに言うと……社会をなめていた?(笑)

はい、確かに調子に乗っていたと思います(笑)。これは新卒時代のエピソードですが、研修期間に同期とつるんで連日深夜まで飲み明かしたり、そのせいで研修中に居眠りをしてしまったり。当時は不動産企画・開発の仕事をしていたのですが、入社3か月目くらいから一人で取引先や工事現場との打合せ三昧の生活で、自由奔放に仕事をさせてもらっていました(笑)。ほぼ放し飼いだったと思います。社内でも、社外でも相当生意気に振舞っていたと今は反省しますが、周囲の皆さんが大変良くしてくださって、とても楽しく仕事ができていました。

── そんな新人時代だったんですね!では、コンサルファームの環境は辻井さんにとって刺激的でしたか?

社会人になって初めて巨大な壁にぶつかりました。自分は仕事ができると調子に乗っていましたが、全くそんなことはなくて。凡人だと痛感しました。仕事ができるどころか、何もできない。それに引きかえ同僚は、本当にすべての人がものすごく優秀なのです。仕事ができるだけではなく、「これが話に聞くGiftedなのか……」と思う瞬間も何度もありました。「辻井も半年くらいでできるようになる」と言われたんですけど、結局そうはならなかったと思います(笑)。以下すべて私の主観ですが、同僚や先輩方には、突出した記憶力がある方、天才的なロジックであっという間に戦略を導き出す方、プレゼンの天才、お客様に信頼される天才などがいました。その誰にも適わないなと感じていました。

── 生まれて初めて壁にぶつかったということですね。どう乗り越えられたのでしょうか?

振り返ると、その環境の中で私が活路を見出せた一つのポイントが、戦略実行フェーズでの役割です。大企業であるクライアントのトップに提案した戦略を、現場の方々が受け入れやすい言葉に置き換えて、目的や方法を具体的に伝えていく役割を担ったとき、ようやく自分が期待に応えられていると感じました。現場には様々な経験や考え方の人がいて、人間関係や利害関係が複雑に絡み合っている事もあります。その中で、戦略をうまく翻訳して共感を得て、浸透させていく潤滑油のような役割で私は力を発揮できたのかなと思います。それ以降は、仕事は大変でしたが、本当に楽しかったですね。

── 大変だったと思いますが、とても楽しそうにお話しされていますね!

仕事は毎日とても楽しかったです。在籍期間は3年弱ですが、前職の「8年」よりもずっと長く在籍していたように感じています。とても3年とは思えないようなボリュームの、鮮烈な記憶と経験が残っていて、とにかく、日々新しいことを学んでいく刺激にあふれていました。

無名のベンチャー企業への挑戦

── 東京で刺激的な日々を過ごされていた辻井さんですが、転職を検討されたのはなぜですか?

Uターンを決めたからです。30代中盤に差し掛かり、実家の家業に関わりたいと思ったのです。一人っ子でしたので、高齢の両親が心配ということもありました。家業は、いわゆる日本の古典的な芸能を営んでいるのですが、それに何らかの形で関わることが、私の使命であり、親孝行にもなるのではないかと思ったんです。

── リージョンズへ入社を決めたのはどのような経緯だったのでしょうか。

いくつかの転職支援サービスに登録をしまして、その中のひとつがリージョンズでした。Uターンさえできれば仕事は何でも良いと思っていたのですが、あえて言えば、無名で誰も知らないようなベンチャーが良いと思っていました。地元でこれから成長しようとしている会社に貢献したかったのです。あとは、首都圏などで経験を積んだ方が、地方へUターンできる社会を作れればいいなと。

── リージョンズではそのプロセスを経験できそうでしたか?

面接のときに高岡さん(注:代表取締役・高岡幸生)が1,000億円企業にすると宣言していたんです。聞けば、当時は売上1億円。わずか12人の会社でしたが、成長したいと本気で思っている社長が魅力的に感じました。入社は迷わずに決めました。

── 有名コンサルファームからベンチャー企業への転職となると、周りからも心配をされたのではないでしょうか。辻井さんご自身はいかがでしたか?

正直、大いに心配していただきました(笑)。「君、大丈夫なのか……」って。私自身もこれで本当に大丈夫かと考えることはありました。けれど、名前が知られている会社に入るよりも、判定不能の会社……言ってしまえば無名なところに入社した方が良いだろうと決断しました。会社の成長プロセスに主体的に携わり、足りないところは自分で作れたらいいなと思いましたし、会社を有名にするのに一役買いたい。それが面白いと考えました。

── 入社後はいかがでしたか?

黎明期のリージョンズはやることが山積みでとても楽しかったです。自分なりにいろいろと仕掛け続ける日々が続きました。プレーヤーとしての実務をやりながら、転職希望者を集客する仕組みの基礎づくり、セミナーやイベントの開催、人事制度など会社の仕組みづくり、公的事業への取り組みなど、とにかく新しいことを次々やっていて楽しかったです。

── 辻井さんにとって「楽しい」がキーワードですね。

それが全てかもしれません。大げさに言うと元々の私の生き方とも言えますが、目の前にある仕事はどうやったらもっと楽しくなるか、その工夫を重ねることをいつも意識しています。仕事に限らず、私は自分が楽しいと思えないことは「やらない」というより、どうしても「できない」んです。本当にお恥かしい話ですが、幼い子どもと同じでやりたいことしかやりたくない。だから、やるべきことがあるとき、どうやったら、私自身の「意識」も含めてやりたいことに変えられるか、これは一番こだわっているところです。例えば、昔から新しいことをやるのは好きでした。逆に毎日同じことの繰り返しをすることや、緻密さが求められる作業などはすごく苦手です。とにかく、目の前の仕事を楽しむということに全力を傾けています(笑)。楽しくないと成果が出せないんです。

「ローカルでこそ、輝けるキャリアがある」という働き方を提唱したい

── これから実現していきたいことはありますか?

リージョンズはUターンをキーワードに事業を行っています。優秀な方が地方でちゃんとキャリアを積んでいけるよう、リージョンズでしかできない事業をしっかりと作っていきたいと考えています。

首都圏から地方への転職は、どうしても「年収が下がる」「キャリアが積めない」「キャリアが毀損する」「都落ち」といったネガティブなイメージがついてまわります。しかし現実は、そうとは限りません。ローカルでこそ、首都圏の経験を活かして輝けるキャリアの作り方があり、ポジションがある。それは、Uターンを成功させた多くの方々を見て実感しています。もっと多くの人にそれを知ってほしいですし、そのようなポジションをどんどん開拓していきたいです。

── 辻井さんご自身もロールモデルになれそうですね!

私も首都圏からUターンしてリージョンズに入社し、経営に関わる多くの仕事に携わってきました。全国各地で、ローカルでこそ輝ける、ローカルで輝こう、というキャリア作りを提唱し、これが当たり前になっていくように今後も新しい仕掛けを続けていきたいです。

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